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昭和俳句作品年表(戦後編)を読む その5

生きて啖ふ岳州の蛇うまかりき 神生彩史35歳(1911年生まれ)    岳州は現在の中国の岳陽市で洞庭湖の傍の都市である。神生はここで終戦を迎えたのだろう。 戦史を見ると陸軍最大の作戦一号作戦が1944年に行われ、神生はこの中にいたと思われる。 この作戦は中国大陸の米空軍基地を破壊して本土空爆を阻止する目的と、海からの南洋諸島、 インドシナへの補給路がダメになってそれに代わる陸路の確保が目的だった。だがその作戦も 米軍にマリアナ諸島をとられて本土空襲が可能になり、目的を達しつつも作戦の意味が消滅して しまった。  米軍がマリアナから飛び石作戦での本土空襲へ戦略変更をすることにより、トラック島で米軍とは 戦わず、飢餓と闘って終戦を迎えた金子に対して、神生は岳州で終戦を迎えてたわけだが、この 戦略変更で金子も神生も命を長らえたと言えるかもしれない。復員は46年6月頃から始まった模様 である。7月4日神生も帰国していた。金子より4カ月前であった。  神生は戦後句風が変わったと言われている。下記のように掲出句を挟んで戦前、戦後の句を 並べてみると確かに変化は確認できる。モダニズムを志向した12年の句に対して、戦後25年の句は 桂信子や山口誓子の即物主義の影響がはっきりしている。この両者に比べて21年の句は「生きて啖ふ 」 が生な措辞であることが目立つ。これはやはり戦争から解放された人間の生な声であって、そこにまだ 作品を作るといった構えが芽生えてはいないのである。この意味で昭和21年の句とは、各作者の無防備 の生な姿が出やすいと言えないだろうか。  秋の昼ぼろんぼろんと艀ども   昭和12年作  生きて啖ふ岳州の蛇うまかりき  昭和21年作  荒縄で縛るや氷解けはじむ     昭和25年作