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9月ゼロ句会報告 青年部担当

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ゼロ句会に乱入してみました。

49歳以下限定の句会で、ほとんど20代から30代のメンバーの句会に、禿頭寸前の私が乱入した現場からの報告です。

当日は筆者を入れて7人の参加でした。通常は10人以上ですが、雨模様と体調不良の方が出て少しすくな目。
 投句は持ち寄り5句と席題1句の計6句出し。時間は午後1時半から始めて午後1時50分までに投句。
 今回の席題は「人名」しばり。筆者は思わず「芸名もありか?」と問うて、OKをもらった。



通常は神野紗希青年部長も出席しますが本日は他でお仕事、子育て俳人は忙しい。
 場所は、協会図書室、ゆったり使えます。コピー機があるのが便利。会の運営、司会は青年部の黒岩徳将君。


各人の当日の句を一句づつ披露しておく。
しどけなく重機置かれて夕花野   伊東由紀子

秋天をたどたどしき副審の旗    北山順子

新聞の上に鯊百匹曲がる      黒岩徳将

刈田道片膝を抱く由美かおる    嶋田奈緒

ウオーリーのやうな人かげ阿波踊り 中島潤也

鑑識の番号札が立つ花野      松井真吾

爽やかに醜名輝呼び出だす     後藤 章


句会は和やかに笑いの中に意見の交換をして楽しく終わった。 オジサンの句にも少し点が入ってうれしかった。まだ付いていけそう。

*取材記者の呟き  会の最初に、簡単な自己紹介がある。句歴を聞くと2年から5年ぐらいの方がほとんどだった。しかし句会における意見はレベルが高いと感じた。だからと言って文学高等理論をかざすわけではない。俳句の骨法を踏まえたうえで明確に意見を言うという感じだ。つまり俳句の手法に関する理解度は深いと思った。それだけ真剣度が高いということだろう。季語への理解度も高い。  次にやはり、句の中に使われる言葉が新鮮だった。例えば「帰宅部」「鑑識」「ウオーリー」「副審」「理不尽」などなど。躊躇が無いという感じで句に取り込んでいる。目につくものなんでも句にしてしまう野獣の様だ。この若さが眩しい。  リーダーの黒岩君の会の運営もうまい、みんなの意見をうまく引き出している。  筆者が特に驚いたのは、スマホで写真を撮る音がしたことだった。何をしているのかと見たとき驚いた。句稿を取っているのである。なるほどである。書き写さないのである。披講の場で意見を言うとき、選句を確認するとき、すべてスマホで取った句稿の画面で確認するのだ。ああーだった。隔世の感あり。(後日聞いたら普…

広報部(海外担当)報告

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協会設立70周年事業の一環として広報部は2008年に刊行した『日英対訳 21世紀俳句の時空』を駐日全大使館(155カ国)に寄贈した。  いまでも俳句は国際的に広がりを見せているがより多くの様々な言語を使う人々へも俳句の魅力を伝える切っ掛けになればとの願いである。


*将来英語圏だけではなく東南アジアや南米、中東、アフリカなどから、この本を切っ掛けに偉大な俳句詩人が生れるかもしれないと夢想することは楽しいことだ。(章)

第一回JAZZ句会報告 by赤野四羽(東海地区所属)

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2018年7月28日、東海地区現代俳句協会青年部主催で第一回JAZZ句会が開催されました。
今池のカフェ「あらたると」。

俳人側が兼題による俳句を作句し披講、その句を元にミュージシャンが即興演奏するという形式です。

予め出演予定の俳人(武馬久仁裕、金子ユリ、廣島佑亮、赤野四羽)による披露の後、客席からも次々と飛び入り。16句が集まり、多彩な熱演に喝采が止まず、1時間の延長戦が繰り広げられました。

ミュージシャンは野道幸次(Ts)、武藤祐志(Gt)、大森菜々(Pf)、浅田亮太(Drs)。東海地方を中心に、JAZZのみならず完全即興や異分野コラボを得意とする実力派です。カルテットの迫力のあるサウンド、またソロやデュオでの繊細な演奏で俳句の世界を表現しました。自身もサックス奏者である赤野が飛び入りで演奏することも。

夕立のリスボン行きの切符を買う 武馬久仁裕

殺られるか殺るか蟷螂斧ふるふ 金子ユリ
蟷螂に肩を叩かれ現へと  赤野四羽
蟷螂の恋愛成就は命がけ  旦空(あらたるとのマスタ)
あざやかな人に逢ひけり夕立あと 廣島佑亮

一時の風吹き荒さぶ夕立まえ 八木恒行

現代俳句協会三賞続々決定

現代俳句協会の三賞が6月から8月にかけて下記のように決定した。
新人賞と協会賞の作品は現代俳句協会の㏋で読むことができる。
評論賞は月刊『現代俳句』10月号に掲載される。(10月1日発行)

現代俳句新人賞決定 6月30日
第36回現代俳句新人賞  なつ はづき 「からだ」
現代俳句評論賞決定 7月7日   
第38回現代俳句評論賞  後藤 章
        「阿部完市とAIの言語空間について」
現代俳句協会賞決定 8月18日
第73回現代俳句協会賞    清水伶氏の  『星狩』

昭和俳句史年表(戦後編)を読む 2

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昭和21年の作品を読み比べる 俳人は敗戦直後をどう詠んだか
本丸に立てば二の丸花の中   上村占魚(25歳~26歳)1920年9月5日生まれ

 占魚は熊本の人吉生れである。東京美術学校を卒業している。年譜によると昭和19年に疎開も
兼ねて、群馬富岡高等女学校の図画教師として赴任していて、その地で結婚もしている。
 句集『霧積』の後記によれば教師も一年余ぐらいで辞めて、高崎の岳父の家に仮寓していたとある。
昭和29年に東京に出ている。昭和16年に一度兵役についているが、二十代で戦争に行っていないのは
体が弱く、精神的にもノイローゼ状態であった時期が多いからだったと思われる。  俳句的には上京した昭和14年に虚子、松本たかしに師事している。「徹底写生 創意工夫」が
後年のモットーだったらしいが、ホトトギスで虚子から写生に徹しろと言われていた。
もちろん図画教師であるからその言葉に違和感はなかったのだろう。昭和24年にはホトトギス同人
になっている。  句には「人吉城址にて」と詞書がある。上村は終戦時、高崎から一時的に故郷に戻っていたの
だろう。敗戦後まもないこの時期に城跡に立って二の丸を花の中に発見した喜びは一瞬であった
ろうし、それは俳人として至福の時であったはずだ。この句には写生俳人としての気息を感じ取れる。
人吉市は熊本市の南に位置するが、陸軍の基地があった熊本に比べて戦災は少なかった。
昭和20年11月の第一復員省調べでは、熊本空襲の罹災死傷者数1893人に対して人吉は2人であった。
故郷は戦災をさほど受けていない。その城跡にのぼって上村に様々な感慨が浮かんだはずだ。
20代で戦争に行くことがなく、無事に戦争が終わった故郷にいる自分を上村はどのように納得させた
のだろうか。句はあくまで客観的に処理されている。これが上村の意識的抑制であるのか、写生の
精神がそうさせたのか上村に聞いてみたいところだ。この句は現在、敗戦の事実を映しこむような
重層性を帯びて読まれることはない。ただ美しい句であるにすぎない。それを上村は意図したのだ
ろうか。  俳句の読みとはこれでいいのだろうか。これはこれからも続く問いである。

秋風や黄旗かゝげし隔離船            大場白水郎(56歳)1890年生まれ

 この句の景にすぐに合点が行く人は少なくなったに違いない。隔離船とはコレラ患者などの
伝染性患者を隔離したものだ。戦争が終わっ…

昭和俳句作品年表(戦後編)を読む 1

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昭和俳句を年代順に共時的に見る試み
戦後編(昭和21年から45年まで)
   3710句を収録




昭和21年

 しぐるるや駅に西口東口  安住敦(38~39歳)1907年7月1日生れ

 この句には田園調布駅と前書きがある。このあたりは渋沢栄一が始めた宅地開発で大正12年から
分譲が始まった高級住宅地である。特に目蒲線の田園調布駅の西側は西洋の都市をまねた構造で道路
は駅を中心に半円形の放射状をなしていた。しかしそのような構造は西口だけで東口側はそれほどの
構想感がない町並である。  ではこの句が作られた昭和21年の田園調布あたりはどのような状況であったのだろう。記録によれ
ば関東大震災も戦災もあまり影響がなかったようである。その状況がわかる地図を下記に示した。こ
れによれば地図の「自由が丘」あたりまでは焼け野原である。田園調布は自由が丘より多摩川に近い
地区にあって焼失面積には入っていない。さすれば昭和21年安住敦が時雨の中を田園調布駅に降り立
った時、町並はある程度残っていたことになる。敦は戦中、疎開の意味も込めて目黒区の柿の木坂に
住んでいた。田園調布の北東約五キロに位置して徒歩ならば1時間ぐらい掛かる位置である。様々な
資料からみて敦の家は戦災をまぬかれた模様である。  こうした状況下で敦はこの句を得た。敦の自解では、待ち合わせの場所をはっきり示さなかった為
に西口と東口で待ちぼうけしたことにより、ふと口から出たという。まるで現在でもあるような事情
でできた句である。句の上では戦災の街並みなんて全然視野にも入っていない。もう慣れきったとい
うことだろうか。敦は早くも21年の1月に久保田万太郎を主宰にして「春燈」を結成している。この
明日へ向かっての情熱が、立ち直りを早め、現在の日常に似た心境となって、駅に「西口東口」があ
ることに俳句的興趣を見出したのであろう。だが次のようにも考えられる。この駅についてほっとし
たから出てきたのではなかろうか。人間の生活感が残る街に、駅に着いた安堵感が、いかにも人間臭
い「駅に西口東口」の措辞を生んだのではないか。人がそして街があるからこそ西口東口がある。
大空襲を受けた東京に奇跡的に残った町並が作らせた一句であったのではないか。

             東口銀杏並木 大正14年当時の写真               西口広場 昭和11年当時の写真               …

国際俳句研究会開かれる

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2018/07/19
国際部の勉強会が協会図書室で行われた。
今回は、アメリカの俳人デイヴィッド・g・ラヌー氏を迎えて、「Gendai Issa]と題して、現在のアメリカはもとより世界の俳人の中で一茶の俳句がどのように考えられているかという貴重な話をしていただいた。

サングラスをかけて一見ブルース・ウイルスのような デイヴィッド・g・ラヌー氏 手に持っているのは贈られた達磨である。

研究会に出席の面々と記念写真。 皆さん英語が達者で、筆者は日本語で対抗した。 ラヌーさんはかなり日本語も話す。
ラヌーさんの経歴に関しては下記のHPに詳しいので参照されたい。 http://haikuguy.com/issa/new.html
略歴       1.Professor of English at Xavier University of Louisiana.        2. 元アメリカ俳句協会代表(会員数約800人)       3.小林一茶の俳句10,000句をコメント付きで英訳 
さて、講演の内容だが、ラヌー氏から二枚の資料が渡され、それに基づいて講演はなされた。そこに示されたものは、一茶の句や生き方からインスピレーションを得て、日本以外の俳人がそれに応える形で作ったアンサー俳句であった。付け句と考えてもいいかもしれない。
ラヌー氏は概略的に、一茶の俳句に外国の俳人は「人情」を見言い出していて、現在の孤独で非人間的で差別が横行している世界へのアンチテーゼとなっていると考えていると、言った。アンサー俳句はそのような姿勢を示した句になっていた。その例句を示す。
一茶の句 ① 痩蛙まけるな一茶是に有 scrawny frog,hang tough! Issa is here これに対するアンサー句 ①’ one ant circles the toilet rim new roommate 新しき友は便座を歩く蟻(筆者翻案)
①’’ first blossoms he identifies as bisexual 両性具有の我是に有り初桜(筆者翻訳・・・下手だな)
② こほろぎの寒宿とする衾哉 the cricket's winter residence... my quilt これに対して
②’ night storm i'm thinking about t…