広報部(海外担当)報告 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 9月 12, 2018 協会設立70周年事業の一環として広報部は2008年に刊行した『日英対訳 21世紀俳句の時空』を駐日全大使館(155カ国)に寄贈した。 いまでも俳句は国際的に広がりを見せているがより多くの様々な言語を使う人々へも俳句の魅力を伝える切っ掛けになればとの願いである。 *将来英語圏だけではなく東南アジアや南米、中東、アフリカなどから、この本を切っ掛けに偉大な俳句詩人が生れるかもしれないと夢想することは楽しいことだ。(章) リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
ゼロ句会10月及び兜太ナイト2 報告者 後藤 章 10月 23, 2018 10月20日(土曜日) 10月のゼロ句会と兜太ナイト2が行われた 於:協会図書室 スケジュールは下記の通り 筆者は都合によりゼロ句会には参加できず、夜の部の兜太ナイト2から参加した。 参加人員は司会と講演者の小松 敦を入れて17名でした。 小松敦は元「海程」の会員で現「海原」会員。 正面右側が司会の黒岩君 写真左端のハンチング姿が本日の講演者小松敦君 初めに自己紹介を兼ねて、各人が黒岩徳将君が選んだ 金子兜太20句の中から、自分が論じてみたい句を発表した。 対象句集は『蜿蜿』と『暗緑地誌』 参加者は多くは今回も40代以下の若手で女性も多い。 彼らにとって兜太はとても魅力的らしい。 『蜿蜿』から 霧の村石を投らば父母散らん 蝌蚪つまむ指頭の力愛に似て この句に胎児のイメージを重ねて鑑賞した人がいた。 中でも議論が高まったの下記の句の「空の肛門」だ 鮭食う旅へ空の肛門となる夕陽 Y氏曰:田村隆一クラスの荒地派の比喩の破壊力がある A氏曰:比喩が大胆 T氏曰:シェークスピアの綺麗が汚いではないが美しいものと汚いものの 対比表現が面白い。 小松氏曰:これは比喩ではなくて兜太は本当にその時そう思ったのだ。 黒岩曰:鮭が遡上するイメージと飛行機が空に吸い込まれてゆくイメージが 重ねられている。 章が思うに、兜太の俳句と田村隆一を結びつけた見方は 面白い。どちらも比喩の使い手のお化けだったからだ。 さらに、文明批評的なことを詩に仕上げたのも田村隆一が初めてだが 兜太の作品にも戦争批判をベースにした文明批判的な側面があった。 俺が食う馬鈴薯映して朋の眼鏡 T氏曰:他人への共感力がある句。常に他者へ近づく兜太 三日月がめそめそといる米の飯 Tk氏曰:場面転換が面白い 小松氏曰:兜太はそのまま読んでくれといった。 人体冷えて東北白い花盛り 田中亜美曰:シンコペーションのリズムが心地良い面がある。 M氏曰:涙腺が刺激されてしまう。風土に甘えていない。 兜太自身を客体としてみている感じ。 章曰:東北出身の私としては、兜太さんは東北に何か遠慮している感じがある。 畏怖の念というのかもしれない。関東以南の地に対... 続きを読む
青年部 ゼロ句会12月報告 by黒岩徳将 12月 28, 2018 ゼロ句会12月報告 黒岩徳将 ゼロ句会が12月で1周年を迎えた。私事だが、東京に移住して1ヶ月でゼロ句会幹事を担当することになった。8割方参加してくださるレギュラーメンバーに加えて、毎回新しい方が訪れてくださるので毎回10人前後で句会ができている。12月も新しい方が4人、そのうちの1人は 石川県から用事のついでにお越しくださった。 初めて1年間は、続けることと、人を呼ぶこと、そして方法を模索することしかないと思っていたので、まずまずの一年だったと言える。 ゼロ句会は「総合格闘技句会」と位置づけている。特定の指導者はおらず、各々が自分たちの俳句観に合わせて好きな句を出し、好きなように意見する。意見を引き出し、どこまで対立点を浮き彫りにできるかは、幹事にかかっていると言えよう。私が「ボクシング、サンボ、カポエラーでもなんでもしてください」と言うと、 隣の宮川氏(現代俳句協会員)はすぐに格闘技のシャドーを始める。たとえば次のような句が提出され、それに対して議論がおこる。 赤羽の朝やおでんの香のしたる 中島潤也 ・赤羽が動かない。このおでんはまずい。 ・綺麗ではない世界を描いている。汚い夜を経ての朝。「したる」本当に必要か。 ・「あ」で始まる音がいい。もし難癖をつけるなら。東京在住者でないとわからないのでは。 「匂ふ」もあったのでは ・すでに山田孝之のドラマが流行しているなど、「赤羽」といえば汚い町だというイメージが東京人には定着しすぎているのでは 管理人一言: 赤羽は汚い町ではありません。私の会社があるのですから。しかしおでんのにおいは朝からします。それは朝からやってる立飲み屋がこの町の歴史だからです。この町は陸軍の被服廠があって朝帰りの工員が多かったのです。今は大きな団地です。さらにおでんの反対側の街並みには、 「股間若衆」(木下直之著) のブロンズ像がある文化都市です。是非きてください。 終はるまで葱のささつてゐるリュック 西生ゆかり ・何が終わっているのかが最後まで明示されない。葱は見えている。省略によって歳末感、寂しげな感じも出ている。 ・時間軸の提示は必要か。リュックがいいのか。「ゐる」も気になる。でも景に力がある。ださかっこいい。 ・リュックに「にょきっと出る」感じがあ... 続きを読む
第三回協会記者会見開催 8月7日 by章 8月 12, 2019 第三回目の協会記者会見が開催された。 今回の目玉は受賞者インタビューであった。出席者は現代俳句協会賞、兜太現代俳句新人賞、同評論賞の受賞者の方々である。下記の人々である。 現代俳句協会賞 佐怒賀正美 永瀬十悟 (6月決定) 現代俳句評論賞 武良竜彦 (7月決定) 兜太現代俳句新人賞 佐孝石画 (7月決定) 左から佐孝石画氏、佐怒賀正美氏、永瀬十悟氏、武良竜彦氏 出席マスコミ各社 左から俳句アルファ、俳壇、俳句界、角川、俳句四季 協会側からは対馬副会長、佐怒賀広報部長、網野顕彰部長、事業企画部長が出席 評論賞受賞者武良氏、熱く石牟礼文学について語った。 評論賞の受賞作は石牟礼道子の俳句作品について考察したものだ。表題は 「桜(しゃくら)の花の美(いつく)しさようなあ-石牟礼道子俳句が問いかけるもの」 武良氏は興味深いことをインタビューで明かされた。この作品は前年に山本健吉評論賞に応募したものであった。その時50枚が規定枚数だった。残念ながら石牟礼道子の評伝ではないかとの評言もあって受賞にはならなかった。そこで今回の協会評論賞応募を考えたが規定枚数は30枚、とても石牟礼文学を書ききれないと諦めかけたが、高野氏の奨めもあって、彼女の俳句に絞って論をまとめれば可能ではないかと思い直し、応募したとのことであった。 筆者は顕彰部長のお許しを得て受賞作を読んでみた。全容は『現代俳句10月号』に掲載されるであろうが、ぜひお読みいただきたいと思う。 水俣病の世界との格闘から生まれた石牟礼文学の異形の一端を、この評論を通じて感じ取ることができるであろう。 穏やかに始まった記者会見が進んだところで、武良氏は一段と声のトーンを挙げて「石牟礼道子の作品が未だに文学として扱われていないことに愕然とした。彼女の文学はガルシア・マルケスの世界にも匹敵するものである。」と語った。 武良氏は石牟礼の俳句は新しい句の可能性を示しているのではないかともいった。そのことを彼はこの評論で書いたわけだが、正直、ここまで来た現代俳句の表現に新しい方法論があるとは思えない私にとって、氏の論は序論でしかないとの印象を得た(実際武良氏も記者会見の中でそのような発言もなされた)。 つまり、石牟礼文学全体の構造、その「自己... 続きを読む
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