子規・漱石句あわせin日暮里 に行って来た by章

世の中では結構楽しいことをやっている。
開幕前の会場の様子
急に寒くなった東京は日暮里駅に降り立って、時雨の中を走って会場のサニーホールへ向かった。約200名は入れる会場を八割は埋め尽くしたであろうか、老若男女が開幕を待っていた。
荒川区主催『子規・漱石 句合わせ in 日暮里』
趣向はこうだ。事前に用意された子規と漱石の句を、赤チーム子規擁護派の東大俳句会(美女二人と男)と白チーム漱石擁護派の早稲田大学俳句研究会の3人(むさくるしい男ばかり)がディベートをして戦うのである。勝負の判定は神野紗希、対馬康子、星野高士氏の三人。
これは荒川区が松山市と俳句の縁でつながり企画し現代俳句協会が後援をしたイベントである。

現代俳句協会青年副部長の黒岩徳将の司会でディベートは始まった。
残念ながら写真撮影禁止なのでその雄姿がお伝え出来ない。

その前に各組が挨拶句を作っていて披露したのが、興味深かった。

赤組 鳴雪と読みし蕪村のその忌なり
白組 百年経つたか菊焚くけぶり濃うあるが

どちらもさすがの含蓄ある挨拶句を作ってきた。落語や歌舞伎の通がにやりとするような小技を効かしているのだ。
赤組は子規が始めて、その死後も続けた蕪村の輪講勉強会を踏まえた句である。『蕪村句集講義』という本にその後纏められている。
白組は、漱石の「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」の句が読まれてから約百年ぐらい過ぎているがまだ菊を焚く煙は濃いか?との思いを込めている。閨秀作家の死を悼んで詠まれた句だが、この後のディベートにもかかわっている内容であった。

なかなかこの若手等は手の混んだことをやるわいとまずは感心した。

一回目の句合わせ お題「果物」

子規派 柿食えば鐘がなるなり法隆寺
漱石派 降りやんで蜜柑まだらに雪の舟

漱石派(早稲田)が、漱石の<鐘つけば銀杏散るなり建長寺>を真似た句ではないか、二ヶ月目に漱石が作っている。お金も借りていたらしい・・・・鋭い突っ込み
これに対して子規派(東大)が有効打が返せず、判定は白三本で漱石派が勝利。

二回目 お題 「恋」

子規派 銭なくて恋する春の旅籠哉
漱石派 君が名や硯に書いては洗ひ消す

この回では「書いては」の「は」を問題にした。なんども恋人の名を書いては消す様子がこれで表せていて、尚且つ硯洗うが七夕の季語であることを背景にして恋の句になっていると漱石派は主張した。一方銭なくてについては、この行為の青春性があると言う主張と、これが題詠であった点、理屈では括れない恋愛の感情を表現したとの反論で今回は子規派の勝利。

三回目 お題「温泉」

子規派 十年の汗を道後の温泉に洗へ
漱石派 ひやひやと雲がくるなり温泉の二階

筆者は漱石の句を初めて知ったが、よい句である。会場の皆さんもそう感じたのかも知れない。
第二部で子規と漱石どちらが好きかと聞いた結果に影響があったようである。

また、ディベートの中で、子規は風呂が嫌いで、漱石は風呂が好きだったことが判明した。
この回も子規派が勝利した。

第二部は 星野高士、対馬康子、神野紗希の三人に加え、堀下、柳本が参加して子規、漱石について話し合った。

会場に漱石と子規の句のどちらが好きかと聞いた反応が意外だった。会場の三分の二は漱石派だったのだ。

発言者は失念したが、兜太と子規は二人とも俳句の方法論を示したと発言した。子規の俳句改革で示された写生という方法と兜太が造型論で示したイメージを書く方法論を念頭にしたものであろう。いわれてみれば分かっていたことだが、方法論という括り方は新鮮だった。

子規私の一句ということで、神野紗希氏が上げた句は
汐干潟うれし物皆生きて居る 子規 であった。
この句に対して彼女は「亡くなる直前に作られた句で、死にゆく自分を冷静に見ているところがすごいと思う。」といったが、ここで思い出すのは子規が入った言葉として次の言葉を思い出した。

「余は今迄禅宗の所謂悟りといふ事を誤解していた。悟りといふ事は如何(いか)なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった。」(病床六尺)


左から神野紗希、星野高士、対馬康子

このような企画がいろいろな場所で行われることを願いたい。
 





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