昭和俳句作品年表を読む その10

 あせるまじ冬木を切れば芯の紅 香西 照雄(29歳 1917年生まれ)

 

 香西はラバウルの生き残りである。21年にお復員して高松で高校教師となり竹下しづの女の指導を受け、同年に草田男の「萬緑」創刊に参画している。ラバウル地区の復員は、1946年2月27日に空母葛城により開始。同年11月16日の便をもって終了(『戦史叢書 南東方面海軍作戦〈3〉ガ島撤収後』、512~515頁)ということで、香西もこの時期に復員したものと思われる。当時ラバウル地区には約10万人の陸海空の軍人がいた。一大基地なのだがアメリカ軍の飛び石作戦で攻撃を受けず玉砕は免れたが、食糧事情は最悪であった。その中を生き抜いてきて、俳句と出会った。東大を卒業した知識人がどのように敗戦を感じ取っていたのか、この句に現れているだろうか。それは「あせるまじ」の措辞が十分に表し得ている。冷静である、しかしそれだけではない。芯に赤いものがあるのである。まことに嫌味にならない冷静さで戦後に生きる意思が表されている。その後の草田男調の超詰め俳句には見られない清々しさがある。

 


復員船 空母葛城 
飛行甲板の破孔は修理されなかった。 pic.twitter.com/83f8pPQxoi より拝借

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